山村一志さん (CHITOSE)

1976年に母が創業したサロンを受け継ぎ、事業を拡大させ、今ではデザイナーズサロンとして確固たる地位を築いたCHITOSE 代表、山村一志さん。東京での苦労と挫折を経て地元に戻り、37歳でクリエイティブ活動を開始。母の理念を守りつつも新たな取り組みにチャレンジし続けている山村さんに、揺るぎない美容道を伺いました。

ライター 森永 泰恵 | カメラ 森永 健一 | 配信日 2020.1.30

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美容室は遊び場。自然と美容師の道へ

美容師を目指したきっかけは何ですか?

母が美容室を経営していたので、幼い頃は学校から帰ると必ずお店に顔を出していました。シャンプー台で寝ることもあり、僕にとっては遊び場でした。知らず知らずのうちに美容室が生活の一部になり、もともとあまり勉強が好きではなかったため、高校進学を考える頃には将来は美容師になろうと思っていました。「僕は美容師になるんだ」と自分に言い聞かせていたのかもしれません。

しかし、母には反対されました。理由は、僕の飽きっぽい性格。母は本当に美容に一生を賭けていたので、安易に美容の世界に入って簡単に辞められるのが嫌だったようです。「本当に美容師になるの?」と念を押され、「なる!」と宣言。その日から母のことを先生と呼ぶようになりました。

高校2年から美容の通信課で勉強を始め、高校卒業と同時に美容学校も卒業しました(当時は2年制)。まじめではなかったですが(笑)、苦労したとか大変だったというより、高校の友達以外に美容学校の友達もいて、みんなに会うのが楽しかったです。

CHITOSE

厳しい指導の下、怒られながらもスタイリストに

就職してみて、大変だったことは何ですか?

山村一志さん (CHITOSE)

卒業後は憧れの東京に出たいと思い、東京のサロンに就職しました。上京した時は、人とビルの多さに圧倒されたことを覚えています。銀行にさえ行ったことがない社会人1年生でしたが、僕は基本的に楽観主義なのでなんとかなると思っていました。

就職したお店はサスーンカットを極めた先生のサロンで、技術に厳しいのはもちろん、挨拶やマナーなど人への接し方にとても厳しく、僕は落ちこぼれでしたから毎日のように怒られていました。不器用だったので1回言われたことをすぐに理解できなかったんですね。何故できないんだろう…と悩むこともありましたが、入社3年目にはスタイリストデビューを果たしました。

僕の美容師としての土台を作り、美容のイロハを教えてくれたのは、その先生です。当時は厳しい指導が嫌でしたが、今ではとても感謝しています。

東京帰りのプライドを捨て、がむしゃらにレッスン

その後、CHITOSEさんに帰って、大変だったことは何ですか?

そのサロンに3年間お世話になったのですが、体調を崩し、やむを得ず実家に帰ることになりました。美容師自体を辞めようと思っていたのですが、お店が忙しいから手伝ってと母からせがまれ、手伝っているうちに今に至ります(笑)。本当は僕が帰ってきて母もうれしかったのかもしれませんが、スタッフの手前、僕に対しては一番厳しかったです。

東京と地方では必要とされている技術が違ったため、CHITOSEに戻って技術も学び直しました。東京のサロンでスタイリストになったとはいえ、多分、月10万円の売上だったと思うのですが、当時の僕は東京にいたというプライドが高く、鼻にかけてしまう“Uターンあるある”そのものでした。

しかし、そのプライドをへし折られた事件が起きます。あるお客様をカットした時、「あのお兄ちゃんにはもうカットしてもらいたくない」とはっきり言われたんです。さらに別のお客様をアップにした時も、仕上げた瞬間にほどかれました。厳しいですよね。プライドがあるからショックじゃないですか。じゃあ、どうするか。上手くなるしかないですよね。人前では練習したくなかったので、スタッフが帰ったあとにこっそり1人で練習しました。この人にはカットしてほしくないと言われたお客様から、絶対に指名をもらいたい。それには「あの人うまいよ」っていう評判を作るしかない。もう、なにくそ!と、がむしゃらでした。恥をかき、お客様に育ててもらったのです。先生の息子だからと、スタッフからは距離を置かれますし、売上も他のスタッフたちのほうが上。僕は何も言えません。だからとにかく売上を作るしかなかったんです。CHITOSEの中で自分の居場所ができたと思えたのは、帰省して2年くらい経ってからでした。

山村一志さん (CHITOSE)

売上主義から創造へ。37歳のオールドルーキー誕生

クリエイティブ活動を始めたきっかけは何ですか?

CHITOSE

2002年に母から店を譲り受け、売上も順調に伸び、月450万円を売上げるようになっていたのですが、僕は行き詰っていました。当時は自分にとっての評価基準が売上しかなく、目標を達成した後はどうしていいかわからず、美容師としての在り方に悩み、苦しんでいました。

そんな時、ふと、美容とは作業ではなく創造なのではないか、数字を作るための技術ではなく、美容師はクリエイターでなければいけないということに、気づきました。

その頃、サロンの経営を兄と一緒にやり始めたのですが、ある日、「お前はJHAに応募しないの?」と言われたこともきっかけになりました。兄は異業種から美容業界に入ったので、シンプルに疑問に思っただけのようでしたが、当時の僕は“自分はまだまだ”と言っては逃げ、JHAも業界誌も、自分が参加するものではなく見るものだと思っていました。しかし、スタッフからコンテストや業界誌に出たいとか作品撮りをしたいと言われた時に、アドバイスも何もできないことを悔しいと感じてもいました。

そこで、僕はクリエイティブ活動を始めることに活路を見出し、全国のセミナーに参加しながら勉強を始めました。37歳の時のことです。自分のことをオールドルーキーと呼んでいました(笑)。

素直にならなければ成長はない

具体的にどのように勉強されたのですか?

山村一志さん (CHITOSE)

始めた年齢が遅い、地方だから情報がない、外部との繋がりがない、という三重苦の逆境からのスタートでしたが、ある講習会で故・植村隆博さんと出会いました。僕はD.D.A.(DADA DESIGN ACADEMY)の生徒ではなかったのですが、植村さんは僕のことを気にかけてくださり、フォトセッションに誘ってくれました。そこからD.D.A.の生徒さんたちを始め、多くの方と面識を持つようになったんです。

東京や大阪など時間があれば色々なセミナーに参加していたので、クリエーションをやっている方たちからは「山村さんは全国どこの会場に行っても居るね」と言われていました。僕より若い方が多かったですが、素晴らしい作品を作れるかどうかに年齢は関係ありません。素直にならなければ成長はない、と自分を戒め、プライドを捨てて若い方にも積極的に教えを請うようにしていました。

クリエーションで美容の力を証明する

クリエーションは山村さんにとってどんな存在ですか?

CHITOSE

「クリエーションで美容の力を証明する」という経営理念を新しく掲げました。作品撮りやコンテストに出場することだけが、クリエーションの全てではありません。お客様一人ひとりに寄り添い、徹底的に向き合うことを大事にして、より豊かに、幸せになるようにお客様の人生をデザインすることがクリエーションだと思っています。

美容を一言で表すと、髪を切ってお客様を笑顔にする仕事です。だけど、政治のように世の中を変える力を持っています。芸術のように感動を生み出すことだって出来るし、医療のように誰かを救うことだって出来る素晴らしい仕事です。

僕は美容が大好きです。誇りに思っています。美容には人を動かす力があります。僕自身、美容で世界が変わり、何度も感動し、助けられてきました。美容への恩返しの意味と美容の可能性を多くの人に伝えるため、クリエーションに取り組んでいます。これからもお客様の背中を押す、期待を上回るヘアデザインを生み出していきます。

うまくなりたいから、うまくしてあげたいに変化

2013年にアートディレクターになられましたが、サロンに変化はありましたか?

今までは来てくださっている地元のお客様に向き合うことがすべてでしたが、外部に目を向けるようになったことは大きな変化でした。色々なセミナーに行って新しい技術を習得する努力を重ねるようになったことも大きな成長だと思っています。さらに「自分がうまくなりたい」から「人をうまくしてあげたい」に変わり、自分だけのことを考えるのではなく、スタッフ1人ひとり、サロン全体のことを意識していかなければならないと思うようになりました。50歳を迎え、最近ではスタッフだけでなく、1人でも多くの方に自分が学んだことを伝えたいという気持ちも出てきました。外部講師として他サロンに教えに行く機会もありますが、伝えることの大切さを痛感しています。

山村一志さん (CHITOSE)

素直、謙虚、感謝。人間力を今一度、見直したい

逆に、先代から守り続けていることはありますか?

山村一志さん (CHITOSE)

37歳の時にクリエイティブ活動を始め、そこからCHITOSEはデザイナーズサロンに生まれ変わりました。途中、植村さんと出会って美容師の在り方・考え方を授かりながら技術一筋で走ってきましたが、今は理念に立ち帰ろうとしています。母が厳しく指導していた身なりや立ち振る舞いなど人としての気品や品格、仲間を思いやる気持ち、そしてお客様と一緒に歳を重ねて生涯美容師になることです。技術だけで人間力が備わっていなければ、スタッフの成長を妨げたり、退職にも繋がります。

僕はみんなと一緒に美容を続けていきたいし、共に働くスタッフの幸せと成功に手を貸したいと思っています。CHITOSEはさらなる進化をしなければいけません。売上はもちろん必要ですが、まずは仕事にやりがいを感じられるかどうかが大切です。そして、素直、謙虚、感謝。この3つをもう一度、徹底してスタッフに落とし込んでいき、仲間と共に心の絆を育みながら美容道を突き進んでいきたいと思っています。

魅力的な体験がブランド価値を高める

CHITOSEさんのブランディングについて教えてください。

山村一志さん (CHITOSE)

「ビューティー&ウェルネス」をブランディングの軸として考えています。人生100年時代を迎えるにあたって、お客様にはいつまでも元気で美容を楽しんでほしい、また身体の悩みを抱えたスタッフの心と体のバランスを整えてあげたい、という2つの願いを叶えるため、月の満ち欠けをコンセプトにしたエステ・カフェ・ヨガスタジオの複合施設「C.(シー)」を2年前にオープン。「ビューティー&ウェルネス」の体現者になった美容師が、その魅力をお客様に伝えるようにしました。

ここでしかできない体験が、サロンのブランド価値を高めてくれると信じています。僕たちのビジネスモデルは先行投資型。勇気を出して未知の世界に挑戦し、コツコツと地道に成果を積み重ねていきます。美容と健康の新規事業は、都市部よりも少子高齢化社会待ったなしの地方にニーズがあります。浸透するまで時間はかかりますが、確実に手ごたえは感じています。

スタッフがのびのびと働ける空気づくり

スタッフとはどのようにコミュニケーションを取っていますか?

CHITOSEのスタッフさんたちと

僕は自分も信じ、相手も信じるというスタンス。最後まで信用して付き合うことをモットーとしています。遊ぶ時は一緒に遊びます。僕が一番、くだらないことを言っているかもしれません(笑)。ごはんを食べに行くにしてもスタッフが行きたい所に行きます。韓流が好きな子には、たとえ興味が無くてもその話を聞いてあげます。スタッフの意思を尊重する気持ちが大切です。僕は最初の3年間怒られっぱなしでしたから、委縮して苦しい気持ちになることもありました。現場では、強く指導することもありますが、その理由を伝えて必ずフォローするようにしています。基本的にスタッフがのびのびと働ける空気づくりを心がけていて、たとえばスタイリストが施術中のお客様を、通りすがりに必ずほめるようにしています。その結果お互いに笑顔が出て、気持ちいい仕事ができます。そういう空気を作るのが僕の仕事。自分が担当しているかどうかではなく、お客様はCHITOSE全体のお客様ですから、その想いをスタッフと共有することも、大切なコミュニケーションだと思っています。またスタッフの作品撮りには必ず立ち会うので、その時の会話も大事にしています。

パターン化したやり方ではなく、考え方を教える

サロン作りの工夫や教育について教えてください。

山村一志さん (CHITOSE)

サロンは作業する場ではなく、お客様と美容師が輝ける場所だと考えています。そのためにはこだわりが圧倒的に必要になります。2014年にオープンした「MAISON de Chitose」は、手作り感、手仕事感がお客様に伝わるよう、職人が1つひとつ丁寧に作り上げたイスや、天然の木をふんだんに使ったセット面を置いたり、イラストレーターに壁や天井に植物や動物の絵を描いてもらったり、世界観の細部にまでこだわってつくりました。また、教育については、技術は統一しなければいけませんが、僕とまったく同じコピーを作りたいわけではありません。スタッフ1人ひとりの個性を伸ばすことが重要です。パターン化したやり方ではなく、考え方を教える。1人ひとり骨格や髪質も違うため、お客様の不安と不満に真摯に向き合い、お客様の憧れに共感できる美容師になることを教えています。詰め込み型の教育では生涯美容師にはなれません。待遇だけで人を採用したり、1年でデビューさせたりでは、一生ものの技術は簡単には身につきません。とはいえ、5年も辛抱できない子が多い時代ですから、3年でデビューできるように教えています。1年目は徹底して人間力を鍛えます。素直、謙虚、感謝。こればかりです。僕たちも実践できていないといけませんからプレッシャーです。2年目から基礎技術に入り、3年目から応用、デビューというのが理想です。お客様の期待を超えたものが感動ですから、期待をしっかり把握した上で、それを上回る仕事ができるよう、指導しています。

教えることは学ぶこと。教える人が得をする仕組みづくり

スタッフのモチベーションを上げるために何かされていますか?

山村一志さん (CHITOSE)

最近は働き方が多様化し、独立やフリーランスになることを前提に、他人と関わることよりも自分のスキルアップを優先する人が増えたように感じます。後輩に教えることは面倒で、自分が損をするという考え方は間違い。教えることは学ぶことです。損得勘定で動くビジネス美容師ではなく、人を大切にする生涯美容師が理想の姿です。教える人が正当に評価され、教わる人に感謝される仕組みの一環として、昨年からスタッフが得意分野で先生になる社内勉強会を始めました。これまでの受け身の姿勢と打って変わり、社内講師は自ら率先して学び、自分の言葉で伝えています。生徒の課題に本気で向き合うようになり、多くの気づきから学びを深め、他人の成果を素直に喜べる人間に成長しています。結果的に教える人の評価と給料も上がりました。

スイート&エンジェルシフトで、安心して働ける環境を

「子育てサポート企業」に認定されていますが、どのような取り組みですか?

地方の美容室は人材確保と定着が大きな課題です。とりわけスタッフの子育て支援や仕事と家庭の両立支援が必須な時代に突入しました。そのため、結婚や出産を機に退職を余儀なくされるのではなく、貴重な人材が働き続けられるよう、厚生労働省に事業計画書を提出して「くるみん」(子育て支援に積極的に取り組む企業などへの認定マークの愛称のこと)を取得しました。CHITOSEでは、結婚すると『スイートシフト』に変わり、正社員雇用のまま18時退社になります。子どもができると『エンジェルシフト』となり、同じく正社員雇用で17時退社になります。給料は変わりません。もちろん産休・育休もありますが、たとえば日曜日の休みを増やすなど、子どもができても安心して働けるサポートをしています。実際にこの制度を活用して頑張っているママ美容師もいます。2020年の春には完全週休2日制を導入し、年間休日を増やす予定です。

CHITOSE

美容を本気で楽しむクリエイターを育てる

今後の目標を教えてください。

山村一志さん (CHITOSE)

自分個人というよりスタッフに対しての思いが強いですね。スタッフ1人ひとりがクリエイターとなり、美容を楽しんでほしいと思っています。美容を楽しむためにクリエーションは欠かせません。押し付けるつもりはありませんが、可能な限り僕の在り方を伝えていきたいと思っています。そのために自分も率先垂範してもっと高みを目指していきます。そうすることで自然と僕に憧れの気持ちを持ってくれると思っています。中にはスタイリストデビューがゴールで、昇格した途端に勉強しなくなる人もいますが、スタイリストになったからこそ、今までよりも勉強に励みなさいと伝えています。技術や知識で足りない部分があれば僕が直接指導したり、クリエイティブ活動で時間を共有する中で気づかせるようにしています。

美容師という職業や今いるサロンに誇りを持つ

最後に、若い世代へのメッセージをお願いします。

山村一志さん (CHITOSE)

色々なことが手軽でカジュアルになった今の時代だからこそ、師弟関係は大事だと思っています。僕は美容業界に入った瞬間から母のことを先生と呼んでいますが、師匠と呼んでいるのは最初に入社したサロンの先生だけです。1年生から教わった先生のことは師匠と呼んで敬ってほしいです。また、美容師という職業や今いるサロンにプライドを持って、美容という仕事を心から楽しんでほしいし、師匠とスタッフはお互いにリスペクトし合うことが大切です。僕はコンテストでスタッフが入賞した時は、周りが引くくらい本気で泣きます。逆に僕が疲れている時はスタッフが気遣って「休んでください。私が代わります。」と言ってくれます。相手を思いやる心がうれしいから余計に頑張れます。奉仕の精神を培う風土・文化にしていくことが大事だと思います。

山村一志さん (CHITOSE)

山村一志(ヤマムラカズシ)

CHITOSE代表。アートディレクター。

都内1店舗を経て1990年、母が経営する「ビューティサロンちとせ」に入社。2002年に事業継承し「ヘア&メイクサロンCHITOSE」をリニューアルオープン。2013年にアートディレクターとなり、2014年「MAISON de Chitose」オープンを機にCHITOSEの代表に。クリエイティブ活動を37歳(2006年)から始め、2011、2013、2014年JHA(Japan Hairdressing Awards)ノミネート、2013、2014年ABCフォトコンテスト2年連続グランプリなど、受賞歴多数。セミナー講師や雑誌への作品発表など多方面で活躍中。

SALON DE LAVIE

CHITOSE

1976年、山口県周南市にて創業。2010年に「9MLG,BY CHITOSE」を周南市に、2014年に「MAISON de Chitose」を山口市にオープン。メイク・エステ・ブライダルまで上質な大人のトータルビューティを叶えるサロンとして、幅広い年代から厚い支持を集める。

シリーズ:この人から学ぶ、成功の秘訣「TBMG」

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