鳥羽直泰さん、赤松美和さん (VeLO/vetica)

職人気質の家庭で育った鳥羽さんは、自分自身も手に職を持つことを望んで美容師を目指す。そして、新人時代に出場したコンテストに影響を受けてロンドンへ渡り、ヴィダルサスーンのアカデミーに入学。そこで出会った故 植村隆博氏と共にDADA創設に参加。一方、大学時代にバックパッカーで旅をしていた赤松さんは、父の死に直面して生きることの意味を考え、手に職をつけようと美容師を目指しDADAへ入社し鳥羽さんと出会う。その後2人は独立してVeLOさらにveticaをオープン。現在では、結婚を経て共に美容業界において多方面で活躍している。

ライター 前田 正明 | カメラ 藤村 徹 | 配信日 2017.6.8

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美容師としてしっかり技術を習得して仕事のできる人間になりたい

美容師になったきっかけを教えていただけますか?

鳥羽直泰さん (VeLO/vetica)

鳥羽さん /父と祖父が建築関係の仕事をしていたので、私自身も会社勤めではなく漠然と手に職を持つイメージを抱いていました。若い頃はファッションや音楽やアートに興味を持ち、それをどんな形で職業にしようかと考えた時に美容師という選択肢が生まれたんです。それは、自分の手で何かを創作したいという思いと、父や祖父と同じ道ではなくあえて違う世界に進みたいと考えたからです。そして、高校卒業後に親の反対を押し切って東京の美容学校に入学しました。実を言うと、長野を出て東京に行きたいという願望があり、それが美容師を目指した本当の理由かもしれません(笑)。念願の上京を果たし、目に映るものすべてが新鮮でした。当時は一年制で忙しかったのですが、遊びも一生懸命でした。まだインターネットも普及していない時代で、美容業界の情報や知識もあまり持っていなかったので、有名なサロンに入ってこの世界で頂点を目指そうという考えはなく、しっかり技術を習得して仕事のできる人間になりたい、東京で一人前の美容師になって親にきちんと報告できるように頑張ろうという意識を強く持っていました。

ロンドンで故植村隆博氏と出会い5年の滞在でスタイリストデビュー

新人時代に経験した印象に残っていることは何ですか?

VeLO

鳥羽さん / 美容学校を卒業して都内のサロンで就職をしました。2店舗目のサロンのオーナーがヴィダルサスーンのインストラクターを務めていて、サスーンのコンテストへ出場するように勧められたんです。当時、美容業界で最大規模のコンテストで、度肝を抜かれた記憶があります。その後、私はサスーンに強い影響を受けてロンドンに行きました。ロンドンではすでに、植村隆博さんがヴィダルサスーンのスタッフとして働いていました。日本人スタッフなんて他にいませんから、私も名前はよく聞いていました。その頃、植村さんは独自の活動を計画しており、そのチームを作るために面白い人材を探していたんです。そしてある日突然、植村さんから家に電話がありました。「今から行ってもいいか?」と。ヴィダルサスーンの植村さんと話してみたかったのでOKをしました。その時に、クリエイティブチームの話をされ、興味があれば一緒にやらないかと誘われました。1年でアカデミーを終えた私は、まだロンドンで頑張ってみたいと思い、そのままロンドンに残って約5年ほどサロンに勤めました。実はスタイリストとしてデビューしたのはロンドンで、植村さんにレッスンをしてもらって技術を身に付けました。とにかく厳しい人でしたが、心から信頼できる人で、一緒に高みを目指してチャレンジし続けていける、そんなチームでした。

父の死で「これからは自分の力で生きていこう」と決意して美容師に

 赤松さんが美容師になろうと思われたきっかけは何ですか?


赤松美和さん (VeLO/vetica)

赤松さん / 私は大学へ行き、在学中になりたい職業を見つけようと考えていました。ところが、大学2年生の時に父が亡くなり、それまで当たり前に存在していた人が突然いなくなったことで、人の生死や人生そのものを深く考えるようになったんです。私は人生において、安定や安心ではなく刺激を求めるタイプで、父の生前からバックパッカーで世界中を旅しながら、生きていることを実感していました。一人で世界中を飛び回っているうちに、自分が自立した大人になった気がしていましたが、冷静に考えると、全て父や家族の力があったからこそなんです。そのことに気づいて、父が亡くなった時に「これからは自分でしっかり生きていかなくては」と強く思いました。その後、あたり前のように就職活動を始めるまわりの人たちを見て、私には同じようにする姿が想像できなかったんです。そんな時に、母から将来をどうするのかと聞かれ、真剣に考えた末に「旅人になりたい」と答えました。普通の母親なら大騒ぎで大反対しますよね。ところが母は平静で「旅では食べていけないでしょ」って(笑)。そこで、旅をしながら生きて行く手段として手に職をつけようと思い、以前から興味があった美容師になろうと思いました。美容学校には大学3年生の秋から通信課程で学びました。美容師になってから毎日が刺激的で、あの頃旅に求めていたものがサロンにあると気づき、いつしか美容人生が人生そのものになりました。

厳しい指導を受けながらも植村さんの実力に感化されたロンドン時代

鳥羽さんがロンドンで知り合った植村さんに対する印象はどうでしたか?

VeLO

鳥羽さん / 今思えば、美容師として私の最大の出来事が、やはり植村さんとの出会いだったと思います。それは最も幸運な出来事であり、同時に惨劇の始まりでもありましたから(笑)。厳しすぎるくらいの指導を受けて、何度もダメ出しをくらっては逃げ出そうと考えたことが多々ありました。ただ、美容に関しては圧倒的な説得力と実力を持ち合わせていたので、私も必死について行きました。それは、私を一人前にしたいという植村さんの厳しい愛情表現の1つだと感じていたからです。そんな日々を過ごしながら、私がロンドンに滞在していた約5年間で、先に日本に帰国したメンバーとロンドンにいるメンバーが連絡を取り合って、日本でDADAのオープンに向けて準備を進めていました。そしてオープン後に、ロンドンに残っていたメンバーが帰国して本格的にDADAをスタートさせました。その時に、アシスタントとして入ってくれたのが赤松です。

個性的で情熱を持った先輩たちに囲まれながら刺激を受けていたDADA時代

赤松さんがDADAに入社した経緯や思い出に残っているエピソードは何ですか?

赤松さん / 美容業界の知識を持っていなかった私は、まず大学卒業を優先してそれから就職活動を行いました。全くの業界外からの参入でサロンの決め手は“直感”。その頃、ファッション誌に掲載されていた美容室特集を見て、抜群に異彩を放っていたDADAに興味を持ち、電話で問い合わせました。後に知ったのですが、植村さんを中心に鳥羽を含めたロンドンのクリエイティブチームのメンバーが、日本にサロンを出した直後で、当初はお客様も少なく求人もしていない状況でした。見学ぐらいなら来てもいいよと言われ、サロンに行ったのが私の美容師人生の始まりでした。そこで、バックパッカーをしていた今までの経歴を話すうちに、植村さんに興味を持ってもらい採用していただきました。その後、ロンドンにいたメンバーも帰国して、数ヶ月後にサロン経営が軌道に乗ったと記憶しています。私はマンツーマンで植村さんに指導をしてもらいながら、彼の情熱に感化されました。それは他の先輩たちも同じく情熱的で毎日が刺激的でした。みんな個性的でストイックで。サロンワークでもお客様を横に向けてサイドを鏡でチェックしながら無言でカットをしてるんです(笑)。まるでヘアモデルをカットしているようで、私はそんな美意識が高いムードが衝撃的で好きでしたね。

赤松美和さん (VeLO/vetica)

充実感や達成感を感じていたがそこに至るまで凄まじいプロセスを経験した

鳥羽さんは日本に帰国してから何を考えながらサロンワークをしていましたか?

鳥羽さん / 私はロンドンでスタイリストデビューをしたので、帰国後日本で再デビューとなりました。それもあり、とにかく結果を残したいという意気込みで、お客様に対して全力で仕事をしていました。それは、私がロンドン帰りという経歴を持っていたため、お客様に試されていると感じていたからです。そんなプレッシャーを感じながら、それを跳ね返すために必死でカットをしていました。会話をするくらいならいいスタイルを作ろうというムードでしたね。ただ、切るだけでなく、もっとサロンワークをしなくてはいけないとみんな気づき始めて、次第に自然な接客をするようになりました。それと、5年の渡英期間で日本のトレンドがわからずに、お客様との会話についていけない時期がしばらくありました。「アムラーとかシャネラーって何?」って感じでした(笑)。赤松には散々笑われましたが、スタイリストはみんなロンドン帰りだったので、悔しいながらに教えてもらったのを覚えています。また、当時は美容師ブームで、様々なメディアで取り上げていただいたお陰もあり、サロンが繁栄していった時代でした。今思えば、DADA時代にいろんなことを教わったことで、美容師として形成されて生きて行けるようになり、こうして注目していただけるようになったと感謝しています。ただ、大変忙しい日々の中で充実感や達成感と共に、そこに至るまでのプロセスは本当に凄まじいものがあったのも事実です。

鳥羽直泰さん( VeLO/vetica)

上京の際に父と交わした約束を守るために独立・出店を決意

 独立して出店した経緯やサロン展開などを教えていただけますか?

鳥羽さん / 定年退職を控えた父が大病を患い、それが独立を考えたきっかけです。実は、長野から東京に出る際に、一人前の美容師になることを約束していました。それまでサロンワークや雑誌の撮影などをしていましたが、私が成功したと父に認めてもらうには、やはり独立して自分のお店を持つことだと思ったんです。それを、父が元気なうちに見せてあげたいと思い、植村さんに相談して赤松と一緒にVeLOをオープンしました。独立して経営者にはなりましたが、当初は美容師としての仕事に専念していました。スタッフ教育はDADA時代のマニュアルを少しフレキシブルに変更して、お店の色だけでなくスタッフの色も出すように心がけました。今まで紆余曲折はありましたが、お蔭様で2店舗目のveticaもオープンすることができました。今まで何度もピンチはありましたよ。というか、毎日がピンチです。今もそう。でも、つまずいたり悩んだりして苦しいのは、自分が成長しようとしている証だし、つらかった分、その後の伸びしろは大きいと思うんです。サロンも同じですよ。毎日毎日、どうしたらお客様に喜んで頂けるか、お客様をキレイにしてあげられるか、スタッフが幸せに仕事ができるか、常にスタッフ全員で考えています。少しでも可能性を感じたら、まず試して、いつも新しい取り組みを検討しているんです。

VeLO
vetica

赤松さん / 最近では新しいメニュー展開として、美と健康のケアを両立する「ピトレティカ」を導入しています。どこの美容室もより良い商材を探し求めていると思いますが、私たちが実際に使用してみてスタッフ全員がその良さを実感してファンになったので採用しました。実は、トリートメントは髪質によってジャッジが分かれる商材なんですよ。それが、すべての髪質に対応して想像以上の結果が出たので、今のサロンに必要なトリートメントだと思いました。コンセプトや「頭皮の整体」というキーワードも時代性にマッチしていてお客様に対してアプローチがしやすく、パッケージもおしゃれなので総合的に突出していると感じています。

サロン専売品を手にする機会が増えればお客様の美意識がもっと高まる

クレンジングカフェと行われたコラボ企画の感想を教えていただけますか?

鳥羽さん / タカラベルモントさんの新しい試みとして今年の2月に行われた、クレンジングカフェ代官山とピトレティカのコラボ企画に参加させていただきました。これは、クレンジングカフェのメニューとして、ピトレティカとコラボ限定の「美髪になるスープ」をご用意し、身体の内側と外側から髪を美しく健康的に導くという内容です。お客様の反応も良く、私はこのような企画をもっと率先して行うべきだと思いました。美意識の高い女性がどれくらいいるかわかりませんが、これによってクレンジングカフェとピトレティカのお互いの認知度をアップすることができたと思います。私たち美容師だけでなく一般のお客様がどれくらい面白さを感じていただけるかで、さらに美髪への関心度が高まるはずです。そのために、コマーシャリングを行い、一般の方への関心を高めるような美容イベントが増えるとパブリックイメージも浸透するでしょう。美容師を介するだけでなく、お客様がサロン専売品を手にする機会が増えるとさらに良さを実感していただけると思うので、今後の展開が楽しみであり興味を感じますね。

VeLO

自分の意思をしっかり持てば美容師としての夢は叶えられる

今後の計画や展開と若い人たちに対するエールをお願いします。

鳥羽直泰さん、赤松美和さん (VeLO/vetica)

鳥羽さん / 今後はスタッフと一緒にサロン展開を考えていくつもりです。彼らが成長するとさまざまな欲求も増えていくと思うので、純粋にスタッフみんなでチャレンジし続け、何か面白いことができる、常にワクワクするサロンにしたいです。そんな、夢の持てる会社としての構想を考えています。単純に店舗数を増やすのではなく、お客様もスタッフも幸せになってほしい、そして「VeLOとveticaのスタッフはみんな輝いてるよね」って言われるのが私たちの願いです。独立する人も残る人も、生き生きした美容師になってほしいです。最後に、この業界の将来を担う若い人に対して、結果として成功するか失敗するかではなく、自分が本気で取り組めるかを考えてほしいと思います。親や先生は厳しく指導をする反面、心配する人でもあります。それによって、若い人たちの勢いを抑えるケースもあるでしょう。でも、自分の意思をしっかり持っていれば夢は叶えられるし、その時に美容師としての楽しさを実感できると思います。


赤松さん / 私も同感で、周りの環境や他人のせいではなくて、どこにいてもなりたい自分になれるし、それは自分次第ということを考えて頑張ってほしいと思います。美容師は、物を作って売るのではなく、髪という身体の一部分を切ってデザインする仕事です。そこには信頼関係がないと成立しません。美容師は人に必要とされている素敵な職業なので、それを感じながら楽しんで成長してほしいですね。

鳥羽直泰さん、赤松美和さん (VeLO/vetica)

鳥羽直泰(トバナオヤス)さん・赤松美和(アカマツミワ)さん

鳥羽直泰/有限会社SDR 代表取締役。長野県出身。東京マックス美容専門学校卒業。都内2店舗を経て渡英。渡英後、Vidal Sassoon Londonに入学。5年間の渡英生活を経て、帰国後にDADA(現DADA CuBiC)に参加。2003年、原宿にVeLO、2009年veticaをオープン。サロンワークを中心に一般誌・専門誌・広告等の撮影やセミナー講師を務めるなど幅広く活躍している。

赤松美和/VeLOディレクター。茨城県出身。山野美容専門学校通信課程卒業。都内2店舗を経て鳥羽と共にVeLO・veticaをオープン。サロンワークを中心に、業界誌・広告等の撮影やヘアショー、セミナーなど幅広く活躍している。


鳥羽直泰

Instagram


赤松美和

Instagram

VeLO

VeLO

VeLOとはフランス語で「自転車」。自転車に乗った時の嬉しい気持ちや、世界が広がるワクワク感を、ヘアスタイリングを通じて提供したい。遊び心を忘れない大人たちのためのサロン。日常を素敵に。


Instagram

http://velovetica.com/

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