関根一芳さん/Le Clic | ||
毎年、優秀な若手が育つことで、自分の新たなステージを作る時期が来たのではないかと感じ、10年勤めたSHIMAを退職する。SHIMAで学んだことを基礎にして、オリジナリティを出したサロンを押上にオープンした。わずか数年で支店を展開し目標を達成。しかし、次の理想像を実現するまでに試行錯誤の日々が続いた。
ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2012.8.2
同じスタイルで経営してもSHIMAを抜くことはできない
私はSHIMAで約10年お世話になりました。その間、店長からディレクターになり、全国各地での講習活動も任されました。サロンワークは金・土・日の3日間。それ以外は講習活動で、木曜日は全店を回ってお店の管理もしていました。嶋先生はお父さんのような存在で、いまだに多くのことを学んでいます。当時は1つの課題をクリアするとすぐに新しいテーマを与えられて本当に厳しく育てられました。今の美容界には、SHIMA出身者で成功を収めている人が大勢います。それは、どこよりも厳しい教育を受けたからだと私は思っています。ただし、SHIMA出身だからといって、独立して同じことをしていてはだめでしょうね。なぜなら、同じスタイルでサロンを経営しても、SHIMAを追い抜くことはできないからです。SHIMAに限ったことではありません。自分の育ったサロンで学んだことをベースにして、そこにオリジナリティを発揮しないと勝負できないと思います。それが、経営者としての感じる部分であり、それを表現している人が人気を博しているのではないでしょうか。
数年で目標を達成するも次の理想像に手が届かない
当時のSHIMAは大変な人気で、求人をすると毎年数百名の応募者が殺到しました。そんな若い技術者が大勢育ってきた時、私は自分の役目が終わって新たなステージを作る時期が来たのではないかと感じ始めていました。それが、独立を決めたきっかけです。その後SHIMAを退職して、最初のサロンを墨田区の押上にオープンしました。当初の目標は地域ナンバー1サロンになり、支店を増やすこと。有難いことにその目標は早めにクリアすることができ、6年で3店舗目をオープンしました。ところが、本店を拡張移転した頃、自分の中で達成感が生まれたのと同時にしばらく悩む日々が続きました。次の新しい理想像を追い求めるんですが、なかなか手が届かないんです。その時に気づいたのが、実はスタッフのことでした。私がイメージしたように育たない、あるいは後継者として任せるには時間がかかる・・・。その後、いろんな書物を読んだり友人からアドバイスをいただいて考えた結果、問題は私自身にあるんだという結論に達したんです。
新たな夢をスタッフに示さなかった自分に責任がある
実は、最初の目標を達成して新たな夢を抱いていた時、それをスタッフに示さなかった自分に責任があることに気づいたんです。その時から、私自身が変わろうと決めました。今までのスタイルを一変して、スタッフとコミュニケーションを図りながら熱い思いを全て話すことにしました。それまでの私は、「黙って俺を見ていろ」という振る舞いでした。これはプレーイングマネージャーが陥りがちな壁だと思うんですが、経営者は気取らずに本気でスタッフの育成に熱意を注ぐべきだと思います。今の美容界には素晴らしい人材がいますから、そこに早く気づいてほしいですね。それ以降、私はもっと全体を見渡せるように視野を広げました。さらに、スタッフ教育ではマニュアルを毎年変えています。例えば、オールパーパスなどの使わない技術をやめて時代に沿ったレッスンをしています。過去にとらわれず教える側が柔軟に変わらなければ、スタッフも成長しないと思います。今人気を呼んでいるサロンは、そこに気づいた経営者だと思いますね。
Le Clic代表。東京都出身。東京マックス美容学校卒業。SHIMA美容室に入社後、店長を経てディレクターに就任。サロンワークを中心に全国各地で講習活動を行う。約10年間勤務した後に独立し1987年にLe Clicを押上にオープン。現在は、Le Clic GINZA、Le Clic AVEDA、FRANCK PROVOST GINZA、ALPHA Clic、ESPACE by Le Clicを展開し、2012年には東京ソラマチにLe Clic AVEDA SKYTREEをオープン。女性専用のサロンなど、各店舗ごとで来店客や立地環境に適合したサロンコンセプトを掲げながら高品質の美を提供。2005年には第27代全国美容週間実行委員長を務めるなど、業界内でさまざまな活動をしている。
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