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中井宏昭さん/bianca

実家の理容に興味がなく、祖父の影響で証券マンになりたいと思った小学生時代。ところが中学2年の時に初めて聴いた音楽に衝撃を受けてDJの道を歩みだす。しかし、なんとなく家業を継ごうと美容の世界へ。当初はやる気のないまま漠然とサロンワークの日々を過ごしていたが、コンテスト優勝作品に刺激を受けてモチベーションが上がり始めた。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2010.1.7

DJのテクニックを磨き続けた高校時代

この業界に入ったきっかけは、祖父の代から実家が理容業を経営していたからです。実は学生の頃は理美容にはあまり興味がありませんでした。小学生の頃は、両親は家業が忙しかったので、祖父母の家で生活をしていました。2年生から祖父と毎朝新聞を一緒に読むようになり、そこで証券の欄に興味を持ち始めました。東証一部の銘柄をほとんど覚えましたね。将来は証券マンになろうと思い、まずは大学に進学することを目標としていました。そこから、マーケティングや経済・政治の動向を常にチェックするのがクセになってしまったようです。ところが、中学2年生の時に聴いたヒップホップの新しい音楽性に衝撃を受けてDJに興味を持ってしまいました。高校に入るとアルバイトをして機材を買い、早朝や学校から帰ってきて夜中まで、毎日DJのテクニックを磨き続けました。日本で初のDJスクールにも通い、クラブDJにスカウトされました。次第に勉強がおろそかになっていき、大学進学はあきらめました(笑)。

DJから家業を継ぐことを考えた時期

あの頃はDJなんてほとんどいない時代でした。なので、将来的な不安はありましたね。理美容の専門学校は当時、入るのが簡単な時代でしたので、親のすすめで入学していました。DJと平行して行っていたのですが、なんとなく親を安心させるために、DJを趣味に戻してサロンに就職しました。最初に勤めたサロンは神奈川県のサロンでした。自分の中ではまだ美容に関して熱意を持っていない頃で、何となく仕事をこなしていました。寮に入っていたのですが、いつでもその場から飛び出せるよう、自分の荷物はいつもダンボール1つ分くらいにまとめて準備をしていました(笑)。

コンテストで優勝した人の作品を見て感銘を受ける

当時は家業を継ぐ人がほとんどで、目的意識を持つ人が少なかった時代だと思います。私も、自分の中で将来的なビジョンや夢を持つことがあまりありませんでした。ただ、漠然と仕事をしながらも、途中でコンテストに関心を持つようになってきたんです。それまで、サロンのレッスンやテストなどで普段のサロンワークでは使わない技術を学ぶことがあり、それに疑問に感じていました。そんな時に、コンテストで優勝した人や業界誌で活躍している人の作品を見た時に、「この人、かなり上手だな」って感銘を受け始めたんです。それがきっかけで、コンテストに興味がわき、コンテスターとしてエネルギーを注げばその道で抜け出せるんじゃないかと考え始めました。それ以降は、出場できるコンテストにはすべて出ました。やはり、コンテストでいい作品を見ると刺激を受けるし、賞を取った人はカッコいいなと思いますからね。自分もそんな人と戦うことにモチベーションが上がってきました。

bianca 代表。神奈川県出身。横浜商業高等学校別科卒業。1店舗を経て独立。実家の支店を改装して1999年3月にaquira hair designsをオープン。2008年5月に移転し、鎌倉市由比ガ浜にbianca kamakuraをオープン。2009年3月に横浜市金沢文庫にbianca dueをオープン。現在サロンワークを中心に、撮影、コンテスト審査、セミナー講師、商品開発等を行う。スタッフ全員がスペシャリスト制で、ケアリストからカラーリストを経てスタイリストになるシステムを構築。カラーリスト育成の結果、ホイルワーク比率が60%を超えるカラーデザインに自信を持つサロンを展開。年間70回以上の外部セミナー受講からサロンワークに落とし込み成果を生むbianca流の教育システムを確立。スタッフ全員が優勝や入賞経験を持つコンテスター集団となり、鎌倉から発信をし続けるデザイナー集団を目指している。

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