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岸井貞志さん/M.SLASH

トップスタイリストから数年で店長に就任。しかし、独立志向がなかったにもかかわらず、社長の退職を機に独立・出店を決意する。ターゲットは、新興住宅地として街づくりが進む横浜・港北ニュータウン。将来性を見込んでの出店は、オープン当初から数年で支店展開を考えるなど、自信に満ちあふれた船出となった。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.10.1

店長を2年間務めて27才で独立を決意する

そのサロンでは25才までスタイリストとして勤め、それ以降は店長を任されました。当時はスタッフが40人くらいいて、当然年上の人もいました。大変だったことは、完全歩合制を理由に勤務中にも関わらず、指名がないと遊びに出かける人がいたりしたことですね。ひどい場合は、サロンに出勤しない人がいたり(笑)。そんな状態だったので、統制を取るのが難しかったです。それから考えると、今の若い美容師さんたちは本当にまじめですよ。当時は、仕方なく美容師になったという人がかなりいましたからね。その後、独立を決めたのは店長を2年務めた27才の時でした。きっかけは、当時社長をしていた方が退職されたからです。私は社長に魅力を感じ、長年そのサロンに勤めていたので、社長が退職されるのであれば私も自分の道を進もうと決意し、退職しました。しかし、他のサロンに勤める気は無かったので、独立という道を選択しました。

将来性を見込んで横浜の港北ニュータウンに出店

独立を決めてから苦労したのはやはり資金面です。スタイリスト時代は稼いでいましたが、歩合制なので店長になると給料が半分くらいに減りました。マンションを売却していくらか調達しましたが、それでも出店した時はほとんどお金が残らなかったです。最初にオープンしたのは昭和63年で、横浜の江田でした。当時は港北ニュータウンが新興住宅街として注目を集めていたので、商売をするにはいい環境だと思ったからです。当時は多摩ニュータウンに住んでいて、そこはロードサイドのレストランやショッピング街がたくさん建設され車を利用したライフスタイルに移行していた時期だったんです。港北ニュータウンは広い道路を建設するなど、そんな街づくりを真似ていましたから将来性があると考えていました。

16才から美容の世界に入った11年の経験を生かす

スタッフは求人で募集して8人でスタートしました。スタッフ教育を含めサロン運営に関しては、それまでの経験があったので自信満々でした。スタイリスト時代からアシスタントを自分で雇い、また店長を勤めた2年間でリーダーシップを取っていましたから。しかも、オープンしてから5年で10店舗くらい広げるつもりでやっていました。今思えば無謀ですが、それくらいの自信がありました。実際は10年以上かかりましたが、出店してからすぐに軌道に乗りました。支店に関しては、稼動がフルになる前に先手を打つ形で出店してきました。こんなケースは美容界では特殊な例だと思います。私は今までの経験をベースにして、ビジネスとしてサロンを展開しています。技術志向の職人的発想は少ないかもしれません。むしろ、商売として成り立たせるために計画し、実践しています。27才で独立は早いかもしれませんが、私は16才からこの世界に入っているので11年のキャリアがありました。また、接客に関しては、通常の3倍の人数は担当してきたと思っています。

M.SLASH 代表、株式会社MIC代表取締役。山形県出身。マックス美容専門学校(通信科)卒業。定時制高校と美容学校通信科を同時に就学。数店舗を経て21才で面貸しの完全歩合制システムのサロンに勤務。1年で売上げトップのスタイリストになる。店長を2年間務めた後に27才で独立。1988年に横浜で M.SLASHをオープン。現在、横浜を拠点に東京・自由が丘や青山を含め13店舗を展開。ヘアを中心にネイルやスパなど、トータルビューティーサロンのスタンダードの確立を目指す。また、アスリートとしてトライアスロンに傾倒し、独自の視点で捉えたブログも定評。

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