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岸井貞志さん/M.SLASH

家業の影響で美容の世界を志す。同時に、定時制高校に編入し、通信課程で美容を学びながらサロンに勤務した。その後、カットスクールでわずか4日間の基礎コースを履修し、実家のサロンを手伝う。数店舗を経た後、完全歩合制のサロンに勤め1年で売上げトップのスタイリストになり、高額の給料を得るようになった。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.10.1

4日間のカットスクールで切れる気になった

私が6才の頃に山形から上京して、両親が品川で美容室を経営していました。そして、家業を継ぐために美容の世界に入りました。本当は美容に興味がなかったんですが、手伝いをさせられているうちに、ワインディングやシャンプーをマスターすることができ、仕事をするなら美容がいいと思い勉強を始めました。高校は半年で昼間から定時制に編入して、同時に美容学校の通信科に入学。結果的に妹が家業を継ぎ、私は勤めに出ました。最初は、原宿に憧れていたので竹下通りにあったサロンに勤めました。16才の時です。すぐにスタイリストとしてデビューするつもりでいた私は、デビューまでに数年かかることを知り、3ヶ月くらいで辞めてしまいました。そして、早くカットをマスターしたかったので、萩原宗カットスクールに通い、その後実家に戻って家業を手伝いました。カットスクールに通ったのは基礎コースの4日間でしたが、自分では切れるような気持ちになっていましたね(笑)。

若い頃はお金を稼ぎたいという一心だった

私は世界観が狭くなると思ったので、実家を継ぐ気持ちはありませんでした。だから、しばらくして地元の他のサロンに勤めました。そのサロンに決めた理由は給料が良かったから。原宿のサロンでは給料が5万円だったのに、12万円もくれるというので、早く稼ぎたかった私にはとても魅力的でした。技術的にはまだ未熟でしたが時代のお蔭か、何とか通用していましたね。その後も数店舗を経験しました。実は、10代だと採用されないので20代前半に年齢をごまかしていました(笑)。仕事を優先し、定時制高校は休学していましたが、結婚を機に復学し、一時実家に戻り、とりあえず高校を卒業。その後、完全歩合制のサロンに勤め始めました。あの頃は、理想の美容師像や独立して自分のお店を持ちたいという夢はなかったです。とにかく、お金を稼ぎたいという一心でした。力に対する憧れが強く、それがお金というシンプルな発想でした。

歩合制のサロンで1年目からトップスタイリストに

そのサロンはスポーツクラブも併設していて、フロアは100坪くらいありました。だから、たくさんのお客さまで活気づいていました。システムとしては、完全歩合制で面貸しのサロン。ただし、新人スタイリストには半年間だけ優先でお客さまを回してくれました。その後は、自分の努力と技術次第で指名を勝ち取らないといけません。私は負けず嫌いだったので、大勢のお客さまから指名をいただいて1年目から売上げがトップになりました。 22才の頃には、給料が50〜60万円くらいありましたね。漠然と出勤するのではなく、自分の中で目的意識がはっきりしていましたから。また、年中無休で休まず仕事をした結果だと思います。大型サロンで教育システムもない実力の世界だったので、中には半年を過ぎてフリーになった途端、売上げが落ちて辞めていった人もかなりいました。指名が多い人は、自分でアシスタントを雇ってどんどん売上げを上げるという、海外のシステムをいち早く日本に導入したサロンでした。

M.SLASH 代表、株式会社MIC代表取締役。山形県出身。マックス美容専門学校(通信科)卒業。定時制高校と美容学校通信科を同時に就学。数店舗を経て21才で面貸しの完全歩合制システムのサロンに勤務。1年で売上げトップのスタイリストになる。店長を2年間務めた後に27才で独立。1988年に横浜で M.SLASHをオープン。現在、横浜を拠点に東京・自由が丘や青山を含め13店舗を展開。ヘアを中心にネイルやスパなど、トータルビューティーサロンのスタンダードの確立を目指す。また、アスリートとしてトライアスロンに傾倒し、独自の視点で捉えたブログも定評。

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