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高柳 司さん/FLOWERS

プロ野球選手に憧れていた少年時代、自分の限界を知りその夢を断念。その後、美容室のオーナーと知り合い、美容師の道に進む。そして、あてもなく東京に行き、OPERAに入社。刺激的な環境の中でスタイリストになるも、カリスマ美容師ブームの影響で超多忙な日々に疑問を抱き葛藤。そんな時、伝説の ACQUA武道館ライブが決定した。

ライター 前田正明 | カメラ 更科智子 | 配信日 2009.9.3

バーテンダーのはずがいつしか美容室で勤務

私は子供の頃から高校までずっと野球をやっていました。将来はプロ野球選手を夢見ていたんですが、自分の限界を知り進学せずに就職することにしました。ところが、それまで野球に熱中していたため他の職業での夢がなく、仕方なく就職浪人をすることになったんです。それからバーに勤めることになりました。19歳の時です。10坪ぐらいの小さなバーでした。実はそこのオーナーが美容室も経営されている方だったんです。その後、美容室で人手が足りないから手伝ってほしいと言われ、昼はサロンで雑用をしながら夜はバーテンダーをするという日々が続きました。私が美容業界に興味を持ち始めたのは、このオーナーとの出会いがきっかけです。それからサロンを手伝いながら、どうせなら美容師の資格を取ろうと思い美容学校の通信科に入学しました。ところが、徐々にオーナーとの関係がぎくしゃくし始め、東京に憧れを抱いていたこともあり上京することを決意しました。

面接を受けたその場からOPERAで仕事を始めた

上京を決めたものの、美容業界のことはまったく知らず、生活面でも頼るあてもありません。そこで知人から、東京で美容師をしている弟さんを紹介してもらい、 3日間だけ泊めていただき相談に乗ってもらいました。その人が、「これからの時代はここのサロンがいい」とOPERA(現ACQUA)を推薦してくれたんです。私はすぐに電話をして、当時店長をしていた青山さんに面接をしていただきました。その時、いつから入店できるのかと聞かれ、いつでもいいと返事をしたとことろ、「じゃあ、今からやりなさい」と言われて面接を受けたその場から仕事をさせていただきました。取りあえず、仕事は見つかったと安心していましたが、住む場所もお金もなかったので、スタッフの家に交代で泊めてもらいました。上京してきた時の所持金は 5,000円。もちろん貯金はありませんでした。東京までの電車代もなく、友達の車に乗せてもらって来たくらいですから(笑)。それでも、毎日が楽しくて、レベルの高い環境にいたので刺激されることが多く、ジプシー状態を3年も満喫しました(笑)。

未熟だった故にいち早くスタイリストになりたかった

当時のOPERAは私と同じように中途採用者がほとんどでした。そんなスタッフたちの意気込みがすごくて、彼らに負けたくないという気持ちでいました。すべての技術において遅れをとっていた私は、頑張って誰よりも早くスタイリストになりたいと必死でした。ただ、負けず嫌いで必死に練習をしましたが、強い憧れで入った世界ではなかったのでアシスタントの頃から何度も辞めたいと思っていたのも事実です。その理由は、超多忙であるが故に美容の本当の楽しさが実感できなくなってしまったからです。私がスタイリストになった頃は、ちょうどカリスマ美容師ブームの最盛期でした。いろんなメディアでクローズアップされ、撮影の仕事もいただいて指名客がかなり増えました。有難い反面、余裕の無かった私は、サロンワークが作業的になり、こなすだけで精一杯になってしまったんです。そんな仕事に疑問を感じ始めました。しかし、たくさんの給料をいただいて生活がうるおってきたので自分の中で葛藤もありました。そんな、美容師を辞めたいと思っていた最初のピークの頃に、あのACQUAの武道館ライブが決定したんです。

フラワーズ代表。長野県出身。長野理容美容専門学校(通信科)卒業。美容学校通信科在学中に上京、OPERA(現ACQUA)に入社。13年間の勤務中にディレクターを勤める。その後、2005年に独立しFLOWERSを出店。2007年に拡張移転、現在に至る。現在、サロンワークを中心に、撮影等のヘアメイク、セミナー、マネージメント、商品開発等で活躍。少しエッジの効いたカジュアルなスタイルを得意とし、リアルなトレンドを発信している。

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